片想いの話

片想いって綺麗かもしれないな、と最近思う。

 


片想いをしているときって、相手を見つめることに集中するばかりで、自分はそこに存在していないようにすら思える。「素敵なあの人」というのが前面に出てきて、眺めている自分はそもそも意識の中にお呼びでない感じ。けれど両想いになると自分が前に出てきてしまう。「こうしてほしい、ああしてほしい」というエゴが生まれてくる。


最近、ある人に片想いしていたときの日記を見返すことがあった。「今日は会えて嬉しかった」「こんな言葉をかけてくれた」「こういうところがかっこよかった」みたいな、なんとも無垢な言葉が並んでいてむず痒かった。今の私は求めてしまってないものの方に目がいってしまう。あの無垢で純粋な状態には戻れないのだろう。


別に片想いが全部綺麗とは限らなくて、思い返せば、綺麗だった片想いもあるし、汚れてしまった片想いもあった。「付き合いたい」とか「手を繋ぎたい」とか、相手にこうしてほしい、自分の方を振り向いてほしい、という気持ちが芽生えた瞬間に片想いは綺麗ではなくなってしまう。相手が自分のことを同じように好きではないことにモヤモヤして、苛立ってしまう。欲まみれの自分が嫌になる。


これまで何度か人を好きになってきた私には、ただひとつ「あれは綺麗だったかもしれないな」と思い返せる片想いがある。好きな人の恋愛対象におそらく私が入っていないだろうということが、最初からわかっていた片想いだった。


あの頃、相手が自分のことを好きになってくれないのなんてわかっていた。でも好きな気持ちは変わらなかった。本当に、本当に好きだった。声をかけてもらえたり、偶然隣にいたりできるだけで嬉しかった。ちょっとでも優しくしてもらえたら、それはもう喜んで日記に書いたものだ。なんでそういう期待をしていなかったのに贈り物をしたり、メッセージを送ったりしたのだろう。未だにわからない。恋愛的な好きじゃなくても、相手が自分のことを人間的に好ましいと思ってくれて、これからも会ったり話したりできればいいかな、と思っていたような気もする。


いや、でも相手の中のone of themから特別な存在に昇格したくて、私はちょっとだけアプローチをしていたのではなかろうか。別に特別な存在になんてなれなくて、one of themのままだったけれど。そう思うと自分は欲まみれで、片想いはやっぱり汚い。恋人になれないのはわかっていながら特別な存在になりたいと思う行為は、恋人になりたいと願う行為以上に強欲で無茶な気がしなくもない。もう眺めているだけの無欲な恋では満足できない人間になってしまったのだろう。


マッキーじゃないけど、もう恋なんてしたくないとすら思う。自分の汚い面や強欲な面をまざまざと見せつけられることになるから。今、なんだか「優しい人が嫌い」という気分だ。もっとちゃんと言うと、本当はみんなに優しいのに、その優しさが自分にだけ特別に向けられていると、ごく自然に勘違いさせてしまう人が嫌いだ。好きになってしまうから。欲まみれの自分を自覚させられて嫌になるから。心に引っかかって、ずっと忘れられない人になってしまうから。

 

どうして付き合ってからの別れを歌った失恋ソングは世の中に溢れているのに、破れた片想いを歌った失恋ソングは数少ないのだろう。あの頃の恋とは明確に違うけれど、ほんの少しの、微妙にモヤモヤしてどうしようもない気持ちをうまく言葉にできなくて、なぜか捨てきれない。