小学校の同級生が亡くなった話

今日、小学校の同級生が亡くなったと、母から知らされた。21年の生涯だった。


わたしの出身小学校は、1学年が10人前後、全校児童が70人弱の小さな小さな田舎の学校だった。田舎ならではのことだが、引っ越してきた転入生や原発事故で避難してきた子が来ることはあれど、保育園の頃からほぼメンバーは変わらず、全員仲良し!みたいな12人でわたしたちは小学校を卒業した。中学に進むときにわたしは中高一貫校を選んだから、わたしだけがこのメンバーから抜けてしまったが、残りの11人は中学でも一緒で、高校に入っても大多数が同じ学校にいたはずだ。そのせいか子どもたちも保護者もとても距離感が近く、中1のころは何度かみんなでBBQなんかをしたし、高校卒業のタイミングでも集まった。卒業アルバムに書いた通りに、一昨年の夏も成人式の記念ということで集まってBBQをした。また5年後にでも集まろうね、という話をしていたはずなんだけれど。


彼の病気を知らされたのは、今年の3月に入ってからだった。母から「〇〇が病気で仕事を辞めて、今は家に帰ってきてる」というメッセージが来たときは、ちょっと体調崩しちゃったのかな、そうなんだ、くらいの感覚だった。でも「大腸癌で若くて進行が早くて、もう危ないって今朝言われたから」と追ってメッセージが来たとき、わたしは現実を信じられなくて、信じたくなくて、「うそ……」としか返せなかった。小学校のときだって、いや成人式の記念で会った一昨年の8月だって、あんなに元気だったのに。去年の10月末に彼の仕事の話を母から聞いたくらい、ちょっと前までは元気でいたはずなのに。


いまはコロナの関係でお見舞いに行くことも難しく、病院に行っても会えるのは彼の父親だけらしい。どうしてもこの事実を1人では抱え込めず、どうすればいいんだろう…と何人かにこぼしたとき、親しい人が「このご時世だとZoomとかしかできないのかな」と言ってくれた。3日前に、母と彼の話になったとき、わたしは「前のようにまたみんなで同じ場所に介することは難しいかもしれないから、LINEのビデオ通話とかで話すことだけでもできないかな」と提案してみた。母は、彼はもう話すことができるかわからないけれど、顔だけでも見たいし、みんなの話も久しぶりに聞きたいよね、と賛成してくれた。彼は4月が誕生月だからその記念にやれたらいいね、ということでわたしの代わりに母からみんなを誘ってもらえるように頼んでおいた。その矢先だった。


叶わなかったビデオ通話の提案、もっと早くにしておけばよかったのに、と思う。中学に入るときにわたしだけ地元中を離れてしまったから、なんとなく気まずさがあって思うように動けなかったけれど、なりふり構わずにアクションを起こせばよかった。


彼の死をきっかけに色々と思い出を蘇らせてみたが、不思議とくだらなくて日常的なものしか浮かんでこない。小学校のころ下校するバスが一緒で、低学年のころは勝手に隣に座っていやがられていたこと。健康観察(「はい、元気です」と答えるやつ)で、彼が1年くらいずっと「はい、脚が痛いです」と答えていたこと。わたしが中学受験の作文や面接対策のために小6の冬休みに学校に行っていたとき、彼も同じタイミングで学校にいて、通分に苦戦していたこと。あのとき、なんで一言も声をかけずに帰ってしまったんだろう。思えば小学校高学年のころから、わたしはなんとなく恥ずかしさや照れくささがあって、彼とあまり話すことができていなかった。成人式記念の集まりのときも、彼とはほぼ会話せずに終わってしまったと思う。こんなことになるなら、もっと彼と話しておけばよかった。


彼の生涯を「短い」とか「まだ若いのに」とか、そういう言葉で勝手に形容することはしたくない。人は誰しもいつかは死ぬ。けれどあまりにも、残された者たちにとっては早すぎる。


皆さんに伝えたいのは、「あなたが死にたいと思っている今日は、誰かが生きたいと思っていた今日なんだ」みたいなことではない。わたしはこの言葉は嫌いだし、めちゃくちゃつらいときは死にたくもなる。けれど、わたしはもう少し頑張って生きなきゃいけないな、と彼の死を受けて思った。未だに彼がもうこの世にいないなんて受け止めきれていないし、信じられないけれど、優しくて真面目だった彼のことや、彼が病気と懸命に闘ったことを忘れないでいたい。あ、少しでも体調が悪いと思ったら無理せずに病院に行って身体を大事にすることや、健康で生きていられることは当たり前ではない、ということは、皆さんに伝えておきたいと思う。それは彼が教えてくれたことだから。


これからお通夜やお葬式が執り行われるのだろうが、ちょうど最近忙しくて、行けるかはわからない。そのうえその場に行くのはとんでもなくつらい。この歳で同級生が亡くなるなんて思わなかったから、喪服も持っていない。けれど、できれば行って、ちゃんと彼にお別れを言いたいな、と思う。それに地元に残った同級生たちは、わたしより彼と一緒にいた時間が長いから、もっとつらいだろう。泣いていないで、わたしが一番しっかりしなきゃならない。


彼の誕生日はたしか4月19日だったと思う。せめて彼が、22歳の誕生日を迎えられればよかった。会津はまだ少し雪が残っていて寒い。最後に、彼に桜を見せたかった。