学校ってしんどかったな、という話

中学とか高校って、今となってみればなかなかにしんどい場所だったな、と思う。

 

12歳のとき、わたしは親元を離れて下宿生活を始めてまでして遠くの中高一貫校に進学した。前例はほぼなく、知り合いがまったくいない中に飛び込んで、環境が大きく変化した。一学年の生徒数は12人から90人へ。生まれて初めて「クラス分け」というものを体験した。クラスの中でも2~3人が1つのグループを形成して、そのグループでトイレに行くだけでも一緒に行動すること、グループごとになんとなくカーストみたいなものが決まっていることといった、当たり前のように感じられる事柄も中学で初めて知った。わたしはただでさえ元々の知り合いがいないのに友達作りで乗り遅れてしまった。幸いにしてなんとかグループに入ることはできたが、学校行事やグループ学習の度に「誰と行動する?」と悩まされたことを思い出すと、今でも胸がどきっとする。あの頃はなんとしてでも、一人ぼっちになりたくなかった。一人ぼっちの寂しさよりも、一人ぼっちでいることによる周りの目の方が怖かった。

 

大きないじめや問題行動はなく、平和な学校だったと思う。ただ、みんなまあまあ賢かったためか、いじめにならない範囲でターゲットを攻撃する生徒のグループはいた。ギリギリ言いつけられたり問題になったりしないようなラインを攻めてくるのだ。いまいち言葉で表現し難いのだが、わたしの体験としては中1・中2の頃にこんなことがあった。男子数人のグループでわたしの話をして、オエッと吐くジェスチャー。わたしの机の上にわざとグループのメンバーの荷物を置いておいて、届けると嫌そうにする。体育の授業中に待ち構えていて、わたしが近づくと声を上げて走って逃げる。髪を結んでいたら、近くにいた男子に「汚いからやめて」と言われたことなんかもあった。こんな風に行動に出されなくても、そういう男子と授業で同じグループになったりすると、明確に避けられたり他の人より冷たくされたりした。

 

今となってみればそんな奴ほっとけ!大したことじゃない、と思えるが、当時のわたしにとってはやっぱりつらくて、美術室の入り口で泣いたことも、実家から下宿に戻る車の中で「学校に行きたくない」とごねたこともあった。わたしのどこがいけないんだろう、あの男の子たちに何か悪いことをしたわけじゃないのに、と思い悩んだ。とりわけ田舎出身で芋くさいから?気弱そうだから?性格に変わったところがあるから?協調性がないから?ブスだから?なんとか状況を変えられないかと自分なりに努力をした。髪を伸ばして結び方を工夫してみたし、肌が汚いのを治そうと化粧水を塗って毛穴パックをした。できるだけ顔を見られたくなくて、学校でずっとマスクをしていた時期もあった。自分の顔が醜く感じられてメイクを始めたのも中2の頃だった気がする。無理なダイエットにも走った。自分が忌むべき存在だからそういう扱いをされるのだ、と信じ込んでいた。そんなことより友達とか先生とか、周りに助けを求めればよかったのだけれど、当時は自分が社会に適合できていないのではないかと思えて、それを認めるとますます自分に自信をなくすから、どうしても人に言うことができなかった。当時の先生に提出しなければならない日記のようなものには、ほぼ楽しかったことばかり書いていた。

 

ルッキズムやその他諸々によって悩まされることは、クラスだけではなく部活でもあった。わたしは中学生の頃、ほぼ女子ばかりの音楽系の部活に入っていた。同期にはわたしの他に2人の女の子がいて、タイプは違うが2人とも美人だった。うわ、わたしだけ飛び抜けてブスじゃん。その中でもかわいらしくて性格も素直な子が先輩にとにかく好かれていて、1人だけ早く演奏会に出してもらったり、下の学年がやらなければならないミッションを免除されたりしていた。今思えばわたしにも至らない点は多々あったが、どんなに頑張っても越えられない壁がわたしと彼女の間にはあった。思い出す、「みゅうちゃん定期演奏会の劇に出たい?」と先輩に聞かれて、「出たいです!」と答えたら馬役になったこと。せめて人の役であれ。ネタになって美味しい役ではあるけれど、先輩たちは彼女には絶対馬役なんてさせないだろうな、と当時は思っていた。いじめられていたわけでは全くなかったし、それなりにかわいがってもらってはいたのだが、部長や副部長などの役職を誰がやるかが本人の希望度外視で先輩に決められたりと、振り返ればあの環境は残酷さと危うさを孕んでいたなと感じる。

 

中3になって、わたしに小さな嫌がらせをしていたグループの中心人物とは別のクラスになった。中3のときのクラスは穏やかな人が多く、クラスの中心人物がわたしのことを面白い奴として扱ってくれたこともあり、学校生活はだいぶ楽になった。クラスメイト全員の誕生日をサプライズで祝い、修学旅行の民泊のグループでさえくじ引きで決められるような平和なクラスでも、文化祭の準備では地味な子だけ外で作業をさせられるなど、多少の軋轢はあったが。高校生になり、「お弁当を誰と食べる?」から始まる人間関係の問題、部活、大学受験が近づいてきたこと、新たに生まれたコンプレックス……など、やっぱり問題は多々あったものの、年齢が上がるにつれて「人は人、自分は自分」的な考えで、割り切ったり受け流したりできるようになっていった。

 

特に中1のときは慣れない下宿生活を送るつらさもあり、「今の学校をやめ、実家に帰って地元中に行こうかな」という考えが頭をよぎることが何度もあった。でも地元中にもうわたしの居場所はないし、出戻ったら風当たりが強いだろうし、下手したらもっといじめられるかもしれない……と思った。やっぱりあの子ダメだったのね、と地元の人たちに思われたくなかった。「もうここで頑張るしかないんだ」と自分を奮い立たせて学校に通った。自分にできることで勝負するしかない、と思って誰にも負けないように死にものぐるいで勉強した。そのおかげで今のわたしがある。でも、勉強ができなかったらわたしは一体どうなっていたのだろう。

 

中2から過激なダイエットに走ったせいで、わたしは一時期ガリガリに痩せてしまって、生理が来なくなったり、貧血と低血圧で倒れたりしてしょっちゅう病院に通っていた。多分あの頃は拒食症気味だった。自分が大事な成長期にあることはわかっていたのに、当時は少しでも体重が増えてますます醜くなることが許せなかったのだ。ある時期からストレスで食に走るようになって元に戻ったのでまあよかったが、若いうちから体重の増減を繰り返して身体には負担をかけていそうだ。わたしは未だに自分の見た目に自信が持てないし、お洒落をしてもブスだから意味がないんじゃないかと思うことがあるし、自分は忌むべき存在だという思考が抜けなくて、仲の良い人といるときでさえ「わたしと一緒にいるの嫌じゃないかな」という不安がよぎってしまう。でも多分わたしに嫌がらせをしていた男子グループのメンバーは、そんなこと忘れて、今ごろ美味しいものを食べてかわいい恋人と仲良くしているんだろう。今更あの人たちを責めるつもりはない。でも悔しいからせめてあのときの経験にはとらわれずに、好きな服を着て好きなメイクをして、堂々と街を歩いていよう。

 

蘇ってくるのはキラキラした思い出がほとんどだが、学校って今思えばとてもしんどい空間だった。化粧も許されず、同じ服装で横並びにさせられたうえでルッキズムのもとに晒される。外見や性格や部活でカーストが決まって、周りからの扱いが変わる。嫌な奴とクラスが一緒になれば1年間憂鬱な思いをして過ごさなければならない。そのうえすごくつらくても、学校には行かなければならないという圧がある。わたしの「学校のしんどさ」はたまたまこんな形だったが、それぞれが大なり小なり形の違うしんどさを抱えたうえで学校に行っていたのではないかと思う。若いからこそ無邪気に傷つけあってしまう。青春の裏側には、たしかにいろいろな息苦しさがあった。