入学当初に貰った大量のビラが出てきた話

最近、ちょこちょこと部屋の片付けをするようになった。

 

ものをなかなか捨てられないたちであるわたしの部屋を少しひっくり返すと、昔使っていたプリントや資料の類がたくさん出てくる。前期教養学部の便覧、駒場生活の手引き、英語の授業のレベル分けで使った資料、分厚く束ねられたシケプリ。なんとなく楽しくなってしまって、家のいろいろな場所を掘り返す。長らく開けていなかった戸棚を開けると、大学入学当時に諸手続きやサークルオリエンテーションで貰ったサークルの新歓ビラ群がうず高く積まれたままになっていた。

 

思わずそれらを懐かしく見返してしまった。大量のビラを眺めていると、入学当初のわたしが何に興味を持っていたのかがありありとわかる。運動部のビラなどもところどころに挟まっていて、当時のわたしは今のわたしからは考えられないような選択肢もちゃんと考慮に入れていたんだな、と思った。「入るサークルを絞ろう」とわたしの字で書かれたメモもあり、そこには8つくらいのジャンルと、そこを選ぶことによるメリット・デメリットが並んでいた。いかにも優柔不断なわたしらしい。

 

ビラ群の中でも特に目を引いたのは、やはりサークルオリエンテーションの日に特に興味があるサークルを回ったときに貰ってきたビラや資料だった。ああ、そういえばバドミントンがやりたかったんだっけ、とそれらを見ながら入学当時の気持ちを蘇らせる。なんとなく、自分には選べなかった人生やストーリーを見ているような気分になる。初々しかった自分が思い出されるな、と笑いながらビラをめくっていたわたしは、彼氏が入っていたサークルのビラ・資料を見つけてしまい、はっと手を止めた。

 

そういえばわたしは、彼氏と同じサークルを入る最終候補くらいまでには残していた。もしかしたらサーオリですれ違うようなことがあったのかもしれない、いやそんなわけないか。わたしがあのサークルに入っていたら、同じサークルのメンバーだったらどうなっていたのだろう。わたしは1年生の頃に身体的・精神的な不調で入っていたサークルを辞めてしまっているから、おそらく彼は「辞めてしまったサークルにいた人」になっていて、もう二度と会うことはないような存在だったのだろう。2人で飲みに行くようなこともあるはずがなかったと思う。一緒のサークルに入っていなかったからこそ、わたしたちはお付き合いすることになったのだ。そう考えると人生は不思議だ、いつどこで誰と交わるかわからないから。

 

そういえば入学当初の自分は、「わたしはこれから何にでもなれるのだ」と思っていた。自分はこれからどんなサークルにも入れるし、どこの学部にも行けるのだと。早く何者かになりたいと願う一方で、可能性に満ちた自分が愛おしかった。あれから何年も経って、一応居場所はできてきたけれど、わたしは望んでいたような「何者か」になれたのだろうか。どの局面においても消極的な選択肢をとるばかりだった自分は、何者にもなれなかったのではないかと、自分の存在意義が欲しくて仕事を求めていた自分を想起しながら考える。

 

今のわたしが入っている5つのサークルは、入学当初の自分が興味を持っていたものとはほとんど一致していない。「誘われたし、なんとなく興味があるから」程度の理由で選んだものもあるけれど、サークルはものすごく楽しかった。勉強との両立に苦労しつつ、サークル活動に明け暮れていた2年生までの日々は青春だったと思う。入学当初の初々しい自分の息遣いが感じられる大量のビラ群に愛おしさを覚えながら、またあの頃のように心置きなくサークル活動ができる日が来ることを、心から望む。