香る

彼氏からはいつもとてもいい匂いがする。

 

何度も抱きついて嗅ぎたくなるような、優しくて、でもしっかりと印象に残る香り。原因はわかっていて、たぶん彼の家のボディソープだ。初めて彼の家に泊まりに行ったとき、彼がいつも使っているボディソープを借りて使ったら、自分から彼と同じいい匂いがして、えらく感動してしまったことを覚えている。

 

でも先日、彼がわたしの家のお風呂に入ったあとでも、彼から同じ匂いがすることに気づいて、わたしはひどくびっくりした。わたしがいつも使っているのと同じボディソープを使ったはずなのに、なぜいつも通り彼の家のボディソープの匂いがするのだろう。

 

このことについて考えていたとき、真っ先に思い出したのは平井堅の「ソレデモシタイ」という曲の冒頭の一節である。浮気・不倫の恋について女性の心理を巧みに歌っていて、MVでは平井堅がインド人の格好をして踊り狂うという、名曲であり迷曲だ。

 

あなたは決して使わないのよ アタシの好きなボディーソープを
シャワーでさらっと流すだけなの アタシを持ち帰らない為に

無味無臭で ただいまって 正しい愛を抱きしめるのね
減らないのよ ボディーソープ アタシの心が減ってくだけ

 

彼氏の浮気を疑っているわけではないのだが、わたしは香りという面ですら、彼氏を自分のものにできていないような気がして、少しだけ悲しくなった。別に完全に自分のものになってほしいなんて思わないし、そもそも「恋人を自分のものにする」なんて考えはとても傲慢だ。でも、わたしはもうほとんど彼のものだと言うのに。

 

しかしながら、よくよく考えてみたら、「香り」はえらく重要なファクターだ。人が最後に忘れるのは匂いだ、とどこかで聞いたことがある。

わたしの研究対象のひとつである源氏物語に登場する薫は、生まれながらにして身体からよい香りがする、という一風変わった設定をされた人物だ。光源氏の「光」と対になる概念としての薫の「香り」。彼の生まれつきの香りはなかなか忘れられなかったからこそ、光源氏には及ばずとも彼は人々の記憶に残り、気品は源氏をしのぐような存在になったのではないか、とたまに想像する。

 

彼氏がいつかわたしの匂いをさせてくれる日は来るのだろうか。無理してまでさせてほしくはないけれど、いつか気づけばわたしの匂いに染まっていてほしいな、なんて思う。恋人には無理はしてほしくないけれど、少しだけ無茶は言いたくなるものだ。ただ、それでも結局のところわたしは彼のことが、どんな匂いでも好きだ。