年の瀬に泣いたわけ

「いろいろと要因はあるんだけれど、彼氏と会える今年最後の日にぼろぼろ泣いてしまって、彼氏のジェラピケのパジャマをわたしの涙で汚してしまった」

これはわたしの2020年12月28日のツイートだ。そんなに涙脆くはないタイプなのだが、この日は久しぶりに自然に、涙がぽろぽろと出てきて止まらなかった。友達と会う約束をしていた日で、出かける直前だったのに。彼の肩でひとしきり嗚咽した次は、出かける支度をしながらしばらくぐすぐす鼻を鳴らしていた。


何か大きなことがあったわけではない。ただ、わたしは前日の夜に夢を見た。いや、もしかしたらわたしが微睡んでいるときにした悪い妄想の類かもしれないが。彼がいなくなってしまう夢を。


彼にはどこか儚いイメージがある。別に雰囲気は儚げではないのだが、いつかふっとわたしの手の届かないところに消えてしまいそうな気がする。幸せなうちに死にたい、と彼は一度口にしていた。その時は死ぬなんてやめてよ、と笑って返した気がするんだけれど。


夢を見た朝、起きてまず不安になったわたしは彼をぎゅっと抱きしめたし、昼間に用事から帰ってきてからも飽き足らず彼をぎゅっと抱きしめた。いつもわたしにはこれしかできない。こうすると彼が「ここにいるよ」と返してくれるのも、いつも通りだ。

でも「いま」ここにいるというだけでは何の保証にもならない。すぐ後にはどこかに行ってしまうかもしれないなんて刹那的であんまりだ。彼がそういうことを言うタイプじゃないのは知っているけれど、ほんとうは「ずっと」とか「永遠に」とか、そういう言葉が欲しい。嘘でも……いや、嘘ならいらないや。


結局わたしは「ずっとじゃなくていいから、もうしばらくはここにいてくれる?」と、前もしたのと同じお願いをすることしかできなかった。

 


涙が堰を切ったように止まらなくなったのは、自分がいなくても幸せになれるようになってほしい、という彼の言葉がきっかけだった。大した意味はないのかもしれないけれど、その言葉にわたしは耐えられなかった。


そうした方がいいのはわかっているが、今更そんなことは無理だった。彼とは出会って3ヶ月しか経っていないが、いろいろな話をして、家でも外でも一緒にご飯を食べて、お酒もたくさん飲み交わした。わたしがひどく落ち込んだり病気をしたりしたときは幾度となく助けてくれたし、家も片付けてくれたし、旅行にも行って、夜は隣で体温を感じながら眠った。電話も何度もずっと繋いでいた。思えば彼と過ごしている時間はとても短いようにも感じるし、昔からずっと彼のことを知っているような気がすることもある。でも出会ってからの期間なんて関係ない、もう彼は顔を洗ったり歯磨きをしたりすることのように、生活の一部なのだ。それが欠けてどうして幸せでいられようか。もう彼なしで自分がちゃんと立っていられるのかすらわからない。


死んじゃダメだからね、ほんとうに、死んじゃダメだからね、と繰り返しながら、わたしは彼の肩で泣いた。変な慰めじゃないだけよかったけれども、彼の善処するよ、という返事でもっと涙が溢れてきた。ひとに「生きていてほしい」と願うことはいちばんのエゴだって、利口でないわたしにだってちゃんとわかっている。「生きていてほしい」「ここに帰ってきてほしい」と彼に言うことは、10億円のダイヤをおねだりする以上のわがままだ。わたしには彼の生きる理由になることも、支えになることもできない。でも、わたしは彼に生きていてほしいと願うことをやめられなかった。エゴでしかないけれど、これは一種の祈りでもあるのではないかと思う。生きていてほしい、もちろん幸せに。


ぐずぐず泣きながらなんとか支度をしていたら、彼が「プリンおいしい」とか言い出して笑わせてくれた。家を出るときに、会えるのは今日が今年最後なので一応「1年間……ではないけれど今年もありがとうございました」と彼に挨拶をした。彼が「来年もいい年にしましょう」的なことを返してくれたのを聞いて、せっかく出かける準備をしたのにまた泣いてしまった。この日メイクがぼろぼろになったのはぜんぶ彼のせいだ。彼と何年も同じ時間を過ごしていけるかはわからないし、正直あまりそんな気はしないけれど、もう少しだけそばにいたい。

 


ちゃんと帰ってきてね、としつこく彼にお願いをしながらわたしは家を出た。贈るべき言葉も、この状況にぴったりな歌詞もない。どう締めくくっていいかわからないが、来年も、いい年でありますようにと心から願う。あ、お願いだけじゃなんだから、ついでに神様にお礼を言っておくことにしよう。神様、わたしを彼と出会わせてくれてありがとう。たくさんの幸せの形と、愛情の示し方と、失う怖さを教えてくれた人と。